「あッ…ぐ、」
擦れた声は
「ッうあ…」

霞みがかってて。現実感がなくて。なんだか嘘みたいな音で。
痺れてしまったらしい鼓膜の上を、つるつる上滑って落ちていった。
舐めた舌に、伝わる人肌の甘じょっぱい味覚。それに反応する食欲。それだけが現実的で。
グラオは、
調子の外れた思考回路のまま、その作業に没頭した。
「やめッ…ぁ…!」
呻くような、かすれた声。不規則に甘い音の混じる声。
薬に侵された身体を呪うように、苦しそうで熱っぽい吐息が零れた。
それらを耳で聴きとりながら。
現実感だけは受信できず。
現実でない事象というのは。
"夢"だろう。そう、彼の思考は結論づけた。

思考?それは自衛本能じゃなくて?
誰かが囁く。黙殺、する。

「やめろ…ッてんだよ…!」
意味を受信できない言葉は音色にすぎない。それはとても、耳触りのいいBGMだった。それこそ毒のようにグラオを溺れさせる音。
花蜜に吸い寄せられる蝶のように。首。肩。鎖骨。ふらふらと降り立っては吸いついていった。その度に甘いノイズは分量を増していく。
だらりと垂れさがった腕が目に留まる。指一本動かせないそれをそっと拾い上げた。ついっとひっぱれば、青い長手袋がするすると落ちる。
剥き身の指が、ぞろりと現れ。
普段見ないその色に、形に、爪先に、目が吸い寄せられ。
ふらふらと惹き寄せられた唇で。
あむり、と中指一本口にした。
「…ッ!」
反応は意外と静かで、びくっと震えただけだった。
舌の上で中指を転がしてみる。ごろごろと硬い舌触りだった。味はほとんどしないのに、どうしてか舌を離せなくなる。ひたすらに舌を擦りつけて、角度を変えながら幾度も擦りつけて。
「…ッ…は…。」
伝わる震えと、頭上から零れた吐息。それを見逃すまいとするように、ちろりと視線で見上げた。戸惑いと快楽で揺れる瞳と、目が合った。
潤んだ橙色と、
目が合った。

「…ッぁ…ぅあ…。」
段々と。増えていく。甘やかな。ノイズ。
「ゃ…め…ぁ、あ…。」
段々と。増えていく。毒のよな。ノイズ。

鼓膜の周辺をひたひたと。ひたひたと。気づけば甘いノイズが満たしていて。
心地よく中毒を与える毒は、段々と致死量へ近づいていって。
鼓膜を上滑っていたはずの音が、一滴、鼓膜へと染み込みそうになる。
す、と背筋が、冷たくなった。

(だって、こんなの)

これが"彼"、だなんて。

("夢"に決まっている、だろう?)



――それは、自衛本能じゃなくて?






滴 定 ス イ ー ト ポ イ ズ ン


(あと数滴で気づかされる、"夢"のような"現実"。)


fin.