ユヤンはす、と目を細めた。
その瞳の裏側では、酷く珍しい一文が綴られていた。

…読み違えたか。

勝率はきっかりゼロだった。それ自体は問題ない。"彼"と対峙する事によって生まれる未来への影響が、分岐が、重要なのだから。
"彼"と対峙した後最も軽傷で済む分岐点を。
ユヤンは読んだ。正確に読んだ。そして、選び取った。

はずだった。
…ぬめりを感じそうな程、鉄の臭いを孕んだ風。


良く見慣れた5人の人間が、微塵も動かなくなっていた。


地面はペンキ缶をぶちまけたように、滅茶苦茶な赤を描き殴られている。血に塗れ、泥土に塗れ、所々酷い凍傷に塗れた人間が、物言わず5体転がっていた。
其れはユヤンが選んだはずの未来とは、大きく異なる。
読み違えたか。無感情な瞳の下では、彼女の足もぼろりと崩れ水と成っている。もうじき人型を保つ事すらできなくなるだろう。
未来を読み違えたか。…いいや、此れはもっと根本的な問題。ユヤンは細めた眼で、対峙する"彼"をじっと見た。

歴史とは世界の"中"に在る物。
世界の外側に生まれし者、あるいは中から外側へ追放されてしまった者ならば。
歴史とは自身を覆う流れではなく、指先で紡ぎ書き綴る物となる。

蒼く、燐光を纏い揺らめくマフラー。
煌と光る金の眼と、ぎょろりと定まらない血色の眼。
――『EDGE』。"彼"という存在の性質を、ユヤンは読み違えたのだ。


エッジは転がる5人を見回しすらしなかった。
影のようにコートを揺らめかせながら、銃を携えた両手を降ろし立っているだけ。たったそれだけで辺りの空気が、今にも破裂しそうな圧力でみしみしとたわんでいた。
影が形を変える。影の先端で、持ちあげられた銃口がきんと光る。
自分に真っ直ぐ向けられた銃口をユヤンは、無機質に見据えた。

ッだん!低く重い銃声が響く。
ユヤンはわずかに目を瞠った。
自分と銃口の間に割って入ったラグナを見て、だ。
「……ッ…!」
左わき腹があっけなく飛び散った。赤黒い血と弾けた肉が滴る。ラグナはきつく歯を食いしばったが、ギリギリで呻きすら殺しきった。
それでもぎらぎらエッジを見据える、血走った橙の眼。
エッジは無感動にそれを見返すと、ゆっくり唇を開いた。
「死に損ないが。汚ぇ靴底で尚も神の地を穢そうと言うのか、異教徒が。」
「ッせぇなァ…。」
何言ってんのか全ッ然わかんねーよオッサン。
と軽口を叩く余力もない。肺の空気は血泡となって口端から滴った。
荒い呼吸が肺に刺さる。神経という神経が悲鳴を上げている。だが背骨が電気を帯びたようにざわついていた。ざぁ、と昂る脊髄。
真っ白になった頭はシンプルに、本能の指令を受け入れた。
コイツを 殺す。

だんッと地を蹴る音でラグナが消えた。次の瞬間にはエッジの背後。渦巻く濁流を飲みこんだ銃が光り、銃声をがなった。
そして聞こえるはずの爆発音は無い。代わりにばき、と硬い音がした。爆発しかけた泥爆弾がそのままの形で、振り向いたエッジの眼前数mmで凍ったのだ。
ラグナは怯まない。構わずがむしゃらに打ち続ける。地震を起こすための弾すらも、届く事なく凍りつく。
泥氷が空中に留まる一瞬、エッジの視界はわずかにふさがった。
それらが落ちて晴れた視界にラグナの姿はない。

その時には既に。
エッジの頭上に高く跳び上がったラグナが、両腕を勢いよく振り降ろしていた。
『アームハンマー』。
エッジの脳天へ、まっすぐに。



瞬間、世界が白く煙った。



み、し。
空気が、軋む。先程とは比べ物にならない圧力で、みしみしと嫌な音をたてて世界が軋む。
霜に覆われたように白く煙った視界。総毛立つ鳥肌。どくん、と心臓が一つ揺れたきりうまく動かない。息が氷となって、崩れ落ちる。
時間すらも凍ったかのように、酷く緩慢で。
スローモーションにしか見えない腕はエッジに届かず。目の前でエッジはゆら、と振り向き。す、と構えた。

無造作に。

撃ち抜いた弾丸。
放られた人形のようなラグナに容赦なく弾幕を浴びせて浴びせ続けて。
そして高く撃ち上げられたラグナまでエッジは一飛びで辿り着き、
殴りつけた。『はかいこうせん』の被弾音だってここまでではないだろう。派手な地響きと猛烈な土煙を撒き散らし、ラグナは地面に叩きつけられた。

「―――ッ」
吐いた血が、のけぞった喉に落ちた。身じろぐと撃ちつけた頭がぬめった。
エッジの靴音がゆっくり近づいてくる。
くそ、が。くそが。馬鹿にしきったようなトロい靴音に憎悪が燃えた。動け。撃て。殺せ。歯を食いしばって命じても、両腕は指一本動かせず投げだされていた。辛うじて銃を握るだけで精いっぱい。
畜生。畜生。
ざり、と止まった靴音。弾の代わりとするかのように、ラグナはエッジの邪眼を射殺さんばかりに睨みつけた。

エッジは眉ひとつ動かさず、ラグナの片腕を踏み砕いた。

橙の瞳孔が、開いた。
「がッ…あああああああああッ…!!!」
ごぎィッ。くぐもった音と共に一瞬燃えさかる痛み。それは本当に一瞬で、完全に事切れた神経が伝えるのは踏まれた箇所から先が"無"くなった、虚ろで冷たい感触だった。
ただの肉塊と成った指から、がらん、と銃が落ちる。
その映像が酷く酷く、見開いたラグナの網膜に焼きついた。そして一瞬後には銃も呆気なく踏み砕かれた。
「目障りだ、異教徒。黙ってこの世から失せるんだな。」
ぱらぱら。持ちあがったブーツの底から、砕けた銃の欠片が落ちる。
銃。が。俺の武器が。力、が。
抜け殻じみた瞳孔。エッジはゴミでも見るように目を細め、重そうなロザリオを歯に咥えた。
「灰は灰に、」
凍てついた銃口を、額へ。
「クソはクソに、還りな。」


Amen. 低い呟きがロザリオを微かに、震わせた。




どおおおんッ!!
銃声、ではない。巨大な地震が地面を跳ねあげた音。派手な縦揺れはラグナの身体すら跳ねあげる程で、さしものエッジも足元をふらつかせた。
なんとか持ち堪えたエッジだがさらに二度、三度、その地震はやってくる。やがて激しい縦揺れが切れ間なく続くようになって、エッジは身動きも取れなくなった。どうにか気配のする方へ振り向くのが精いっぱい。

ウトが、そこに立っていた。
だらりと腕を下げて棒立っている。頭から肩から腕からだくだくと零れる血。開いた大きな目には、横たわるラグナ達が克明に映っていた。
ラグナがウトを見れたなら大きな違和感に気づいただろう。
笑みが、ない。
いつでもどこでもどんなに凄惨な場面でも、にこにこ笑んでいるその口元が、真顔で半開きになっていた。
「…やだ…。……やだ。」
呟く唇が、震えている。
「どこ。なの。みんな。どこ?やだ、だめ、だめだよ、みんな、みんな、」




『殺される』『殺される』『殺される』
『逃げろ』『逃げろ』
『殺せ』
『殺られる前に』『殺せ』

『殺せ』

『殺せ!!』




「きえちゃ、う、」
灰色の瞳が、紫に光った。

「やああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!!」
自分をかき抱いたウトが絶叫する。
それに呼応するように、地震がますます荒れ狂った。
ばきッ、ばきんッ!音をたてて地面がひび割れた。
ウトを中心として放射状に、地面が割れて砕けていく。
「―――ッ!」
動くこともままならないエッジは、まざまざとその光景を見せつけられる。
土地が、崩壊する様を。

「…引くがいい。」
背後から声がした。いつのまにか背後に浮いていた、ユヤンの声。
「引くがいい、エッジ。」
「――黙れ、異教徒。悪魔の言葉に貸す耳など無い。」
低い声でそう返すが、ユヤンは目を細めすらしない。

「ぬしが引けばあれは収まる。それともぬしはその目で見たいか。」
その目は、異存在によって歪む歴史は読みきれなくとも、異存在の抱える歴史は容易く読む。

「ぬしの言う"神の地"が、怪物に喰われる様を。」

「―――。」
言葉を失った。異教徒の言葉を耳に入れ、言葉を失ってしまった。
ぎッ、と握る銃が軋む。
エッジは長い前髪で表情を隠したまま…ひらり、コートの裾をわずかに揺らめかせ、次の瞬間には消え去り退場していた。





ΚΟΣΜΙΚΗ 
ΚΑΤΑΣΤΡΟΦΗ


(聖なる怪物と、無邪気な怪物と。)

fin.



***

アルフさん宅エッジさん(キュレム♂寄)お借りしました!

タイトル:コズミケー・カタストロフェー
某魔法漫画から拝借した超広範囲凍結粉砕魔法。
和訳は『おわるせかい』。